カゲロウのお客さん
私の住む滋賀県はムシ暑い日が続いている。
家にやってくるお客さんといえば、宅急便のお兄さんか、ソフトバンクairへの変更を勧めるお兄さんが定期的にやってくるくらいだが、今日は昆虫のお客が来た。
それがこの方。
所謂、カゲロウの仲間である。
カゲロウといえば、その名前からも推測できるように、非常に短命なことで知られる生き物である。
まあ、短命といっても、成虫になってからの寿命が、といった方が良さそうだ。
幼虫時代を水中で生活するカゲロウは、何度も脱皮を繰り返したのち、成虫になる。その時比較的綺麗な水の河川を好むらしい。
そのため、河川の環境を調査する際の指標になることもあるとか。
あまり人間の生活においてカゲロウと関わることはないが、カゲロウは3億年前の化石からも発見されているほど、大昔からそれほど姿を変えずに生活をしてきたようだ。
当時のカゲロウも、成虫の期間が極めて短く、繁殖という観点で珍しい形態をとっていたのか分からないが、おそらくそれはカゲロウの次世代に遺伝子を伝え、種を存続するという面から、理にかなった生き方なのだろう。
その一方、3億年前といえば、当然人間は存在などしているはずもなく、哺乳類さえ誕生していないだろう。
この3億年という途方もない時間の中で、全く姿を変えていないカゲロウの横で、大きく姿を変貌した人間がいる。
それは、よく考えれば全く普通のことのようで、実は果てしなく神秘的なことだろう。
彦根城の桜は満開
昨日、彦根城に桜を見に行った。
大学に入学してから彦根城には何度も訪れている。電車で行っても1時間ほどで、街の風光明媚な感じがとても好きだからだ。
桜は満開でとても綺麗だった。
彦根城は、名古屋城や大阪城と比べるとかなりスケールが小さく感じられるが、それでもなんせ天守閣がある城なので、立派な建築である。
城までの途中にある石垣は数10mに達するものもあり、建設に着手した人々の大変な苦労が伺えた。
彦根城といえば「ひこにゃん」という、ゆるキャラがいるはずなのだが、訪れる時間が毎回夕方であることもあるのか、一度も出会えたことはない。
少し前にひこにゃんが大人の事情で消えてしまいそうだというニュースを見たのだが、なんとかゆるキャラとしての活動を続けるそうだ。
桜と城は、なんとも日本らしい気がする。
これからもこの風景を毎年見たい。
彦根城を降りて帰ろうとしたくらいから、風が強くなってきた。
滋賀県の難点は風が強いことだと思う。
冬から、この時期にかけては琵琶湖からの風が強い日が多く、気温は高くても風で体感気温が大きく下がる。
それでもって夏は琵琶湖の蒸気が陸に漂ってきているのか知らないが、ムシ暑い日が多い。
井伊家のお殿様は寒いところに住んでいたものだなと。
奥に見える琵琶湖とても良い。
彦根城のお堀にはいつ何時いってもハクチョウがいる気がする。
餌をくれると思うのか、たまに陸近くまで寄ってくることがある。
彦根城の博物館へ向かう橋。
そういえばこの日は彦根東高校の入学式みたいであった。甲子園に出ていたことで覚えているし、確かそこそこ賢かったと思う。
彦根城のお堀の中に学校があるみたいで、毎日彦根城を見ながら勉強できる。別にそれが羨ましいわけではないが、なかなか珍しいのではないか。
近いうちに夜桜を見にまた来たいと思う。
アマミノクロウサギを求めて奄美大島へ ナイトツアーについて
アマミノクロウサギとは
アマミノクロウサギとは、環境省レッドリストに指定されている数の少ないウサギで、体全体は黒に近い茶色のような色をしており、体長はそれほど大きくない。
また、何万年も前から姿をほとんど変えずに奄美大島と徳之島に住み続けており、生きた化石とも呼ばれている。
ウサギを求めて島へ
今回、僕が奄美大島へやってきた理由は、他でもないこの小さなウサギを見るためである。
ただ、奄美大島に関する事前情報はほとんどなく、闇雲にアマミノクロウサギを探しても見つからないだろうから、現地のナイトツアーに参加することにした。
価格にして3時間で7000円。
なかなかの値段。
この3時間でウサギを発見できなかったら、奄美大島へ来た意味などほとんどない。
ツアーの出発前に全力で神頼みした。
神頼みといっても、奄美大島には神社や寺のような建物はほとんど見当たらず、教会を目にすることが多かった。
おそらくキリスト教信者が多いのだろう。
キリストさま、どうか僕をウサギに合わせて下さい。
ツアーの集合場所は近くの道の駅の駐車場。
開始時間が19時になっていたので、18時45分くらいに到着するも、あたりは真っ暗。
人の気配もせず、レンタカーの中でゴロゴロしていると、大きめの車のエンジン音が。
見ると古いジープがやってきた。
車にあまり詳しくないので分からないが、見たことのないジープである。
そのジープはまるで戦場の車のようで、後ろは大人が4人ほど座れる空間があり、もちろんオープンだった。
しかし今日はツアー参加者は僕だけの様子。
夜道をジープで探検する、それも奄美大島の日本本土では見たこともないような木々が鬱蒼と生い茂る密林。
それだけで気持ちは大変高揚した。
すぐにウサギを発見
ツアーが始まると5分ほどで道をそれて、山道になる。山道に入って10分ほどでアマミノクロウサギは現れた。
こんなに簡単に見ることができるとは。
この後も何度もウサギと遭遇したほか、アマミイシカワガエルという、日本一美しいというカエルとも出会った。
これを日本一美しいと感じるかどうかは人それぞれだろう?ツアーの日は寒かったため、土管のようなところに入ってしまっていた。
そういえばツアーの日、奄美大島は夜非常に寒く、ガイドさんの話によれば気温が一桁になるかもしれないとのことだった。
これから先のシーズンはまあ大丈夫だろうが、念のため上着を持っていった方がいいだろう。
ツアーは途中から林道に入る。
なるほど、このジープでないととても進めないような道が続く。
空を見上げると、見たこともないような星が一面に広がっており、星が多すぎてオリオン座を見つけることができないほどだった。
帰り際にもアマミノクロウサギ。後ろ姿が可愛すぎる。
特徴的なことは、アマミノクロウサギたちは車が近くに行ってもそれほど逃げることがないことだ。
これは奄美大島の生き物において、結構当てはまることなんだとか。
ツアー代のもとは取れたか
ナイトツアーの参加費は約3時間のツアーで7000円と少し高めの印象を受けた。
しかしながら、進んでいくコースが想像していた以上に山道で、林道に入る手前の旧国道でさえ崩落しそうな場所が多くあった。
また、アマミノクロウサギやその他動物に会えることを考えると、この値段は妥当かと。
今回のツアーでは、アマミノクロウサギ、アマミイシカワガエル、ケナガネズミの3種を見ることができた。
これからの季節はどんどん暖かくなり、6月ごろから9月ごろにかけてはホタルが見えるんだとか。
今年の夏も奄美大島へ行こうと思う。
お世話になりました。
自転車旅(最終日) 清水市良いとこ
最終日
本日はいよいよ自転車旅の最終日。
20時ごろには下宿先へ帰宅するために、昼過ぎの電車には乗らなければならない。
新幹線を使えばすぐにつくのだろうが、なんせ少ないお金を移動費に使うのは気が引けるので、青春18きっぷで帰ろうと思う。
最初は組み立てるのにあれほど苦労した自転車も、もう手慣れた手つきで組み立てることができる。
今日の目的地は清水駅。
静岡駅から南へ進み、海岸沿いへ出て、そこからまっすぐ三保の松原まで進み、清水駅方面へ向かう。
海鮮丼を最後にいただいて、下宿先へ帰ろう。
三保の松原まではおよそ10キロ少し。
自転車でいけば1時間もあれば着くだろうなと想像していた。
しかし、その日は向かい風が強く、うまく自転車が進まない。諦めて少しづつ進むことにした。
今日は天気があまり良くなく、富士山も裾野さえ見えていない。晴れていれば海も綺麗なのだろうが、それも残念だった。
久能山東照宮の辺りには、いちご狩りに関する施設が多くあった。車で来ていたら寄っても良かったが、時間の関係で久能山東照宮も、いちご狩りも遠慮しておいた。
ちょうど、上の写真を撮っていたころ、1人の中年のおじさんに声をかけられた。
なんでも、週に何回か定期的にこの辺りを自転車で周っているんだとか。
行き先が同じということで、ご一緒させてもらうことにした。
風の中でもぐんぐん進んでいき、当初は早く行ってくれないかな、、などと思っていたが、後になってとても感謝している。
三保の松原へ行くと、観光客があまり来ない富士山がよく見える穴場へ連れて行ってもらい、そこから先も周辺の名所などを細かく教えてもらった。
一富士二鷹三茄子という言葉があるが、それは徳川家康の好んだものの順位であるらしく、一に富士山、二に愛鷹山、三に地元の茄子という意味だとか。愛鷹山は富士山の近くにある山で、徳川家康が鷹狩りに使っていた山である。
三保の松原からの富士山。結局富士山は全く見えなかった。本来なら写真中央あたりに見えるはずだった。
そのあとエスパルスドリームプラザへ行くと、そういえば清水市はちびまる子ちゃんにゆかりのある場所だと思い出した。
ドリームプラザにはまるちゃんのコーナーが大々的にプロデュースされており、子供連れで溢れていた。
そしてこの海鮮丼、なんとそのおじさんにご馳走させていただきました。
清水市の名所を事細かに教えていただいたことに加えて、海鮮丼まで、、、ご馳走さまでした!!
清水駅へ向かう途中、もともと線路だった場所を教えてもらった。昔は造船の街だったらしく、造船業の衰退とともに、鉄道も廃止に。
その昔の様子を垣間見ることができた。
3日間の自転車旅の終わり
おじさんに清水駅近くまで送ってもらったあと、13時の清水駅発の電車に乗り、下宿先の駅へ20時ごろ到着した。
出発前に嫌いだった自転車はすっかり好きになった。自分のクロスバイク買おうかな。
自転車旅はしんどくもあり、様々な人に助けてもらった旅でもあった。
特に静岡県の人の暖かさに触れました。
気候が暖かくなると心も暖かくなるのか。
これにて旅終了です。
何より無事に帰れて良かった。。
自転車旅(2) 浜松駅〜静岡駅
軽い足取り
自転車旅2日目。
8時ごろに起き、9時には宿を出た。
肩こりがひどく、首回りも重い。おそらく重たいバックパックを背負って自転車を漕いでいることによるものだろう。
尻の痛みも慢性化していたが、5分ほど自転車を漕ぐと、それもすぐに慣れた。
昨日はあれほど苦痛だった自転車を漕ぐ動作も、1日経つとほとんど慣れてきて、少しずつであるが楽しくなってきた。
なんせ普通のママチャリとは速度が違う。車やバイクには到底かなわないスピードであるが、風を切り進む道は爽快だった。
特に平坦な道は進みやすい。
愛知県を超えて静岡に入ると、普段あまり来ない県にいるという実感が湧き、それもあって順調に進んでいった。
ちょくちょく坂道はあるが、それもこの頃には、ずっと坂道が続くわけではなく、下り坂もあるだろうという考えに変わり坂道を黙々と漕ぐことができた。
浜松市を出ると、割と目まぐるしく市が変わる。昨日の岡崎市、幸田町、蒲郡市、豊橋市はやけに長く感じたが、今日の磐田市、袋井市、掛川市はどんどん移り変わり、気分が良い。
ただ、市は変わっても、車のナンバーがずっと浜松なのは、全然進んでいない気がして嫌だった。
昼前には掛川市に入り12時前には、さわやか掛川インター店に到着した。
人生初めてのさわやかを堪能し、すぐに店を出る。すぐに、といっても店内で1時間ほど待ったので、出発は13時になった。
ここから先はどうやら峠を越えるらしい。今回の旅でおそらく箱根までは到達しなさそうなので、かなり厳しい峠越えになるだろう。
島田市に入ってしばらくした頃だっただろうか。峠は現れた。
初めは緩めの坂道。これくらいなら大丈夫だろうと思っていたが、今まではカーブを曲がった先に下り坂があったところに、また坂道がある。
その先のカーブを曲がると更にきつい坂道。
さすがに心が折られそうになり、歩くのと同じくらいのスピードで登っていく。
頭の中では、しんどい思いから逃げたい自分が出てきて、どうして坂道を登っているのかわからなくなりそうになった。
しばらく進んだところに、トンネルが現れた。
その名も小夜の中山トンネル。
なんとオシャレな名前のトンネルだろう。
近くに夜泣石という石もあるようで、なんだか超自然的な感じがした。
すると今度はこの辺りから、死の恐怖を感じ始める。
横を通り過ぎていくトラックがどれもぶっ飛ばしているのである。巻き込まれたらおそらく即死だろう。
更にカーブの先が見にくいので、きっとトラックの運転台からみた僕は、カーブから突然ちっぽけな鹿が出てくるみたいな感じだろう。
去年の9月ごろ、滋賀県の湖北で鹿を轢いてしまったバチがここで当たるのか、、、とビクビクしていた。
そうしてしばらくいくと、峠の途中で分岐があった。そこで道案内を見ると、その分岐を行っても、山を越えれるみたいだった。
ついに峠とおさらばと峠を最後まで登らず右にそれて、一気に坂を下った。しかしそこからが苦難の始まりだった。
下った先にあったのは、一面の茶畑。
更にどうやら峠を途中で下ったせいで、再び山を越える必要があるみたい。
1時間ほど、茶畑をうろうろし、茶畑の農道を超えた先にやっと大井川を見つけることができた。
結局、最後まで峠を登るほうが楽だったという。やらなければいけないことは、最初にやった方が良いという、人生経験をさせてもらった気がする。
そこから先は早かった。藤枝市に入り、また暫く漕ぐと焼津に着いた。これが16時半頃。
そこから静岡市へは、また山を越えなければいけないが、坂道ではあるものの、カーブの多い山道でもなく、19時過ぎくらいには静岡駅に到着することができた。
明日は最終日
到着すると、そのまま静岡駅近くのホテルに泊まった。その日は夜をコンビニで済ませ、明日に備えた。
今日1日、本当に楽しく自転車を漕ぐことができた。今まで自転車は疲れるだけで楽しくないと考えていた考えは大きく変わった。
明後日から奄美大島へ行く関係で、旅は明日で終了になる。まだ1日残っているが、素敵な旅になった。
本日の走行距離は85キロ。明日は昼過ぎの電車で青春18切符を使い帰ろうと思うので、清水駅周辺を観光して帰ろうと思う。