食べたいものを、好きな時に
人生の目的は何だろうか。
大学生になり、自由な時間が増えたことにより、それを考える機会が増えた。
僕は現在、大学院進学へ向けて、少ないながらも日々英語を勉強し、かつ生物系の学部に在籍していることからも、細胞生物学などの勉強をしている最中である。
僕は小学生くらいまで、岡山県の田舎で年の半分以上を過ごしていたことから、物心がついたころから、生き物が大好きであった。
例えば庭先にいるハンミョウを走って追いかけたり、近くの山でタヌキを追いかけ、川で魚を網で捕まえて飼ったりした。
こういう経験から、小学校低学年くらいの頃から、生き物と関われる仕事に就けたら良いなと思っていたし、それがごく普通だと思っていた。
大学も受験は失敗したものの迷わず、生物系の学部に進学し、ここまでやってきている。
人生の目的といえば、大学1年の時に、それについて考える授業があり、当時はその授業の意味を特に見出せなかった。
僕は人生の目的は、幸せになることだと答えた。
しかし、教授が言うには、人生の目的について、幸せになること、美味しいものを食べることなどは、全く答えになっておらず、人生の目的とは、子孫を残すことだと断言していた。
確かにそれは、生物的にはおそらく本当であろう。身の回りに住む昆虫や、両生類、爬虫類、それから哺乳類に至るまで全てについて、人生の目的は、子孫を残すためだろう。
しかし、人間には不思議なことに、意識が存在しており、それぞれ考えることが全く異なる。
今では結婚をせず、生涯独身で生活する人も多くいる。
人間以外の生物において、一生子孫を残さない種がいるだろうか。おそらくいないのではないか。
そうなると、人生の目的が一概に子孫を残すこととは、言えないのではないだろうか。
今日はTwitterで、素敵な言葉を見つけた。
とあるツイートのリプ欄に寄せられていたリプライだったのだが、それは
「自分が食べたいものを、食べたい時に食べられるようになること」
と言う言葉だった。
自分が現在食べたいなと思ったものを、好きな時に食べられる。それは、とても幸せなことだ。
例えば僕の場合、収入も少なく、家賃以外の光熱費であったり、水道代、そのほか携帯代まで払っているので、食費に回せるお金は少ない。
おそらく、自分が食べたいと思ったものを、満足に食べることができるのは、就職するまで無いだろう。
そういうことからも、就職して、自分でお金を稼ぐようになり、更に家族ができ、その家族にも好きなものを食べさせることができるようになること。
まずはそれを目標に、生活していこうと思う。